神功皇后

奈多宮の楼門に「三韓降伏」の額がある。「三韓」とは馬韓、弁韓、辰韓である。
「記紀」によると、仲哀(ちゅうあい)天皇が熊襲を討つために九州に赴き、筑紫の橿日原宮(カシノミヤ)[香椎宮]で急死すると、同行の神功皇后は妊娠中であるにもかかわらず、竹内宿禰(たけのうちすくね)と図り、新羅に遠征し、新羅を降伏させ、筑紫に帰って応神天皇を産んだという。

古事記によると、夫仲哀天皇は「西に金銀財宝に満ちた国があり、その国を服属させよ」という神託を受けたが、「偽りを言う神だ」と思い信じなかった。そのため、神の怒りにふれてなくなった。その後、神功皇后は新たな神託を受け、身重の体で軍を整えた。舟(しゅう)を並べて海を渡ると、魚は舟(しゆう)を背負って進み、追い風が舟(しゆう)を進め、新羅の国にたどり着いた。新羅の国王は恐れおののき、降伏して朝貢することを誓い、百済も従ったとされる。そして神功皇后は三韓征伐の帰途に筑紫の宇み(現糟屋郡宇美町)で応神天皇を産んだという。

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