宇佐神宮の神宮寺である初代別当(べっとう、長官)となったのは、法蓮という僧侶でした。法蓮については「続日本紀」大宝3(703)年、及び養老5(721)年の記述から、医術の功績により豊前国に領地を与えられ、「宇佐君」を名乗ったという。宇佐神宮の大宮司である宇佐氏は、法蓮の一族であると考えられる。法蓮はもともと英彦山で修行して大きな法力を身につけた。英彦山にはあらゆる願いをかなえるといわれる如意宝珠(にょいほうじゅ)[一切の願いをかなえるたま]の伝説がある。英彦山から如意宝珠を持って立ち去った八幡神を法蓮が追いかけ、ついに八面山で和解した。このとき、八幡神が如意法蓮を得るかわりに、法蓮を弥勒寺の別当に任命したという。八面山には、和解の舞台となったといわれる「和与(わよ)石」(和与は、和解という意味)という巨石が残されている。この伝承から弥勒寺の創建に英彦山や八面山など豊前の山岳信仰文化が影響を与えたことがうかがえます。
比叡山末寺の天台宗寺院となっている「六郷山」の寺々は、八幡神をまつる宇佐神宮の神宮寺・弥勒寺の僧侶たちの修行場としてひらかれたことに始まる。六郷山は、八幡神が出家して仁聞と名乗り、修行した地とされますが、ここでも法蓮は重要な役割を与えられている。伝承では、八幡神が出家する際の導師(しどうしゃ)を務めたのが法蓮である。法蓮を師として出家した八幡神は、法蓮とともに宇佐国東の地で修行し、多くの寺院を建立し、また仏像を造立したといわれます。