大和政権の成立と大古墳

 巨大な古墳が三基もこの豊洋にある。相当強大な有力者(豪族)がいたということです。その理由の一つは砂鉄である。もうひとつは海上交易を握っていたということである。
 小熊山古墳・御塔山古墳から瀬戸内海を望む九州東北部沿岸における古墳出現後の展開状況、さらには、畿内地域で成立した最新様式の埴輪群の波及から、大和政権との密接な関係性を有することが明らかになった。(文化庁・国指定理由書より)
九州最古の円筒埴輪や全国でも稀な土器が出土している。当時の最先端の祭式が豊洋に伝わったのである。場所的に考えれば、どこからでも見える場所にある。大和政権の成立とこの豊洋が深く関わっていたことが実証されたのです。特に、応神王朝の成立と八幡宮が深い関係があったということです。

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