県下最大級の古墳群がなぜ存在するのか?

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 故郷豊洋(大分県杵築市)には多くの古墳が存在する。古墳は一般民衆のものではなく、豪族とか呼ばれる人のものである。後期のものは小規模で葬祭としての性格が強いが、前期・中期のものは支配者の権力を示すためにつくられた。狩宿北部、南部、東部、奈多八幡の所、室屋等沢山の古墳が存在する。しかも大規模なものである。それだけ強力な豪族が存在したということである。それはなぜか?

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亀山古墳に豊洋小学校のグランド横にある。大規模な前方後円墳であったがグランドや砂鉄を運ぶ線路を建設したため削られた。近くにもう一つ存在し、いずれも南側にむいている。

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御塔山古墳は狩宿南部、いわゆる美濃崎にあり、豊後水道を見下ろす位置にある。最大級の円墳である。

豊洋全体を見下ろすように存在するのが小熊古墳である。みはらしの良い場所に作られた前方後円墳である。西暦300年前後に築造されたという。瀬戸内海と九州南部に通じる豊後水道、つまり海上交通ににらみをきかせた大規模な古墳である。


御塔山古墳は帆立貝式古墳(円墳)
御塔山古墳は、美濃崎港の東側の海岸部にある。平成元年3月の測量調査により、墳丘の直径約80m、空堀まで含めると直径約100mの規模となり、九州最大級の円墳である。古墳は4段築成からなり、一部が削られているものの、全体的な保存状態は良く、段築などの様子がよくわかる。また、頂上部には国東飯塚城主田原親宗の供養塔がある。遺物として、円筒埴輪や盾型埴輪が発見されており、それらから5世紀のものと考えられる。
墳丘の直径=約100m 墳丘の高さ=約12m 周湟の直径=100m 一段目の直径=約65m 二段目の直径=約45m  三段目の直径=約27m


小熊山古墳は前方後円墳
小熊山古墳は、御塔山古墳の北北東約600mの小熊山山頂に位置しており、平成元年10月からの確認調査により前方後円墳と確認された。
前方部の南側、西側、後円部の西側一部を削られているものの、その他は当時の状態をよくとどめている。平成2年度の測量調査により復元全長約130m、後円部の直径約70m程で、大分市坂の市の亀塚古墳をしのぎ大分県一である。遺物として埴輪も出土しており、古墳の形状などから4世紀中~後期と考えられる。
現況全長=約115m  後円部直径=約70m  前方部長さ=約45m  高さ=約10m  復元全長= 約130m

   

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