「大分遺産」大分合同新聞

奈多海岸の松 日本の白砂青松100選
格式高い八幡宮
 昇る太陽が別府湾にきらめき、波は光を乗せて遠浅の浜辺に打ち寄せ、風が松林を吹き抜ける。ここは「日本の白砂青松100選」の一つ、杵築市の奈多海岸。奈多は灘に起源するのだろう。
 国東半島を形づくった火山は成立の後に大きく形動し、半島の南部を隆起させた。そこに遠浅の浜が生まれた。奈多から狩宿、行安と2キロにわたって続く浜辺と松林は、大分県を代表とする美しい海岸線であり、「日本の海水浴場88選」の海水浴場・キャンプ場である。

 そこは八幡奈多宮が海に向かって立つ。鳥居は海に面し、参道は海そのもの。また鳥居の横にある木造灯籠は、海に行く人たちの灯台をも果たした。奈多宮は宇佐八幡宮の末社の一つであるが、格式は高い。八幡宮の中央に祭られている比売大神(ひめおおかみ)こと三神像はここに上陸、示現したとの伝えさえある。女神は海に由来する名を持ち、そのうちの一柱である比売(ひめ)の名に由来する市杵島の小さな岩場が浜から300メートルほどに浮かぶ。その名は厳島にも通じ、神に斎(いつ)くによるのか。奈多宮は宇佐宮行幸会に深く関係する。宇佐宮の「御験(みしるし)」と呼ばれる神体の再生を行う際、古い御験(みしるし)は奈多宮に運ばれた。奈多宮の国の重要文化財、僧形(そうぎょう)八幡神や女神の木造座像を伝えるのもそのため。

 奈多宮の大宮司奈多氏は中世、大友氏と深くかかわる。よく知られる鑑基(あきもと)、鎮基(しげもと)の父子の名は大友義鑑(よしあき)、義鎮(よししげ)[宗麟]父子の名に共通する。そして、鑑基(あきもと)の娘が宗麟の正室となり、義統(よしむね)を産む。正室の名は分らない。ただゼザベルのあざ名が知られる。神仏を熱心に信じた彼女は反キリシタンの急先鋒で、さまざまな事件にかかわる。困り果てたイエズス会士たちは、キリスト教を迫害したイスラエル王アハブの妻の名で彼女を呼んだわけだ。

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