八幡神は面白い神

八幡神は武神としてあがめられるようになった。続日本紀養老四年(720)3月の条に「大友宿弥旅人を以て、隼人征討軍の大将軍と為す。」とある。国前臣(くにさきおみ)の祖といわれる菟名手(うなで)や速見の速津媛、宇佐氏等の軍団が、豊後水道を見渡す、美濃崎港に結集した。その折、奈多宮で必勝祈願をおこなった。ここから八幡神は武神となったのであった。尚、この隼人征討のおり、多くの捕虜や隼人の首を持ち帰ったが、捕虜の首をはね、持ち帰った首とともに埋葬したところが、今も凶首(きょうしゅ)塚[南宇佐]として残り、隼人の霊を慰め祀ったのが百体社という。

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 鉱物を採取精選する鍛冶神であり、さらに発展すると八幡神は火神であるという。瀬戸内海航行の海神という説もある。
古代の朝鮮半島との交通関係から八幡神は新羅神という。勝氏(かつうじ)や秦氏(はたし)等の多くが帰化人が存在したことから、これらの帰化人の奉ずる氏神である。そして「八幡神」の名は「弥秦」(いやはた)で、帰化人である秦氏と関係がある。

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