奈多宮の楼門にある一番前の鳥居は、長岡佐渡守興長の寄進によるものである。
長岡佐渡守興長は、杵築城城代松井佐渡守康之の養子で、細川三斎の末子となっている。
後に松井姓を長岡と変える。
細川氏が肥後に職封となると興長も肥後八代三万三百石の城主となった。
この間、杵築在城は三十数年間に及ぶ。
領主細川忠興は、慶長元年(1596)の大津波で破壊された奈多宮の再建費用として白銀三六貫目を奈多宮に寄進した。
そして城代長岡式部少輔に社殿の再建を命じ、本殿と拝殿を造営した。時に寛永四年(1627)年丁卯九月十日となっている。