博多の奈多(なた)

博多の志賀島に行くつけ根に奈多(なた)がある。
私たちの奈多(なだ)との関係はどうなっているのか?
13世紀の蒙古来襲、いわゆる元寇後、大友氏は恩賞で博多の海岸部、息(おきの)浜を手に入れた。一時期、博多を支配したこともある。
当然、大友氏の中心であった奈多氏の一族が活躍した。この時に奈多に残ったのが今の奈多となったのではないだろうか?
もう一つの説は、秀吉のの朝鮮出兵である。いわゆる文禄・慶長の役である。この戦いは悲惨な敗北に終わる。生き残った奈多氏の人々が息絶え絶えに博多の奈多浜にたどり着いてそこに住み着いたともいわれている。中心に神社を祀っているのも何か深いものが感じられる。


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