隼人征討と宇佐・豊洋

 宇佐地方を中心として原始的部落国家が存在した。それぞれの小都市国家は氏神をもっていた。安心院の豊川社、来縄の小玉社(若八幡)等がそれであり、安岐は奈多社であった。
 八幡神は鉱物を採取精選する鍛冶神であるという説がある。民俗学の柳田国男氏は鉱業神であり、さらに発展すると、八幡神は火神であるという。宇佐は銅、奈多は鉄を保有していた。国家統一という課題を持った大和政権は金属の産地である宇佐や奈多と手を組んだのである。

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 本州東北部の蝦夷(えみし)、九州南部の隼人(熊襲)とを征服・同化するのに力をさいた。この隼人支配のために奈多氏を重視した。一つは豊後水道の直前に位置し、良好な港を有し、海上交易で力をもっていた。当時、住吉は神場とよばれ、入江は狩宿北部近くまで入りこんでいた。(後に御池まで運河を掘ることも考えたこともあった。)何よりも重要なのは奈多の鉄であった。美濃崎から住吉にいたる良好な港を拠点として隼人征討にかかった。かくして宇佐国や奈多氏等の助力によって朝廷は隼人を征服できたのである。

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 八幡神は隼人征伐の功により、神亀2年(725)官社に列し、国費で造営が行われ、天平3年(731)官幣にあずかった。部落国家神であり、氏族神・地方神であった八幡神が国家神に上昇し、官社八幡宮となったのであった。
 国家統一に功績のあった宇佐宮と奈多宮は別宮(元宮)として関係は深く、朝廷から宇佐神宮に献進された神宝等は、後に奈多宮に奉送されたという。三神像はそれである。

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