奈多宮の創建は、宇佐宮が小椋(おぐら)山に創建されてのち、初めて分霊を祀ったので、いわば宇佐宮の別宮である。八幡が前につくのは宇佐宮と奈多宮のみである。古来宇佐宮の御神体(八幡神像)は四年目ごと(のち八年目ごと)に作って納めたが、次の奉造のとき旧御神体を下宮に納め、その次の奉造のとき下宮の御神体を、奈多宮に納めたことが記録に残っている。大分県で一番古い神像が奈多宮にあるのはそのためである。つまり奈多宮は、宇佐宮とは特別な続き柄と社格をもっているのである。
奈多宮のことは「宇佐八幡託宣集」に書いている。
聖武天皇の天平年中(729~48)に「比売大神示現して国前郡に住す、此神は玉依姫命なり・・・」と。
また、称徳天皇の天平神護元年(765)閏十月八日の条に「昔われ伊予国宇和島より往来せし時、豊後国埼郡安岐郷奈多の浜の海の石(市杵島?)に渡り、次で奈多の松本(見立山?)に登り又其上の野に上り、安岐の林に憩い、それより直入郡に向い、豊後日向肥後を巡幸す」と、八幡神の遊幸神話は伝えている。