比売大神が奈多の沖合の市杵島にあらわれ、宇佐に移ったという。また宇佐宮に新しいご神体が入ると、古いご神体は宇佐の分社である八社を回って奈多に収まるといわれる。この時の移動が行幸会である。
聖武天皇は天平元(729)年、宇佐宿禰公基(うさすくねきみもと)に命じて奈多宮を建てさせます。そしてその20年後、天平勝宝(しょうほう)元(749)年、行幸会(ぎょうこうえ)がはじめられました。この行幸会は4年に一度という行事でしたが、嵯峨天皇の弘仁(こうにん)2(811)年から6年に一度行われるようになりました。
八幡宇佐宮の新しい御神体が作られると旧御体は八幡奈多宮に移されます。これを行幸会とよんでいます。八幡宇佐宮より八幡奈多宮に送るには100日間心身をきよめ、8ケ社を巡幸します。
古い文章によると供廻りの人数は約2,000人、奈多宮より出迎える人は800人、費用は7,500貫を使い、21日間もかかったという一大行事だったようです。
行幸会(ぎょうこうえ)は、天平勝宝元年(749)に始まったという儀礼で弘仁二年(811)までは四年に一度ずつ行っていたが、この年から卯の年と酉の年、いいかえると六年に一度ずつ行うようになった。七月、神輿を奉じて豊前国下毛郡(中津市大幡区)三角池に出て池の中でコモ刈り神事をおこない、八幡宮(宇佐宮)で、「薦(コモ)枕」を調進する。新しい「薦枕」の神体を新しい神輿にのせて豊前国宇佐・下毛郡、速見郡の宇佐宮と関係深い摂社八幡宮を巡行して、四日目に国東半島の東側の八幡奈多宮に納めてしまう。
八幡奈多宮に納められている古い神体は、豊予海峡を渡って四国伊予八幡浜市(愛媛県)の矢野山八幡宮(大清水八幡宮ともいう)に納める。矢野山八幡宮の古い神体は伊予三机という所から流すという大がかりな儀式である。