「神場洲といふハ、文禄年中迄ハ、今の洲崎より南の沖の方へ十町斗り洲有て、
並木の松原茂り栄え、其末に観音有て、・・・此洲の内ハ波風なく旅泊の大船小船も
碇を入、天下無双の湊なりしか、津波に沈没して水底と成、・・・。」
神場洲は大きな船が停泊できるような大きな湊であったようです。現在、奈狩江
公民館の所まで船が入ることができたといいます。そこから御の池(神池)まで運河を
作る計画が度々あったといいます。つまり鉄を運搬するためだと考えられます。今、
「カナクソ原」と言われる所で製鉄をしていたわけです。
大和政権の成立期にこの湊は極めて重要な役割を担っていたと考えられます。