「慶長元年七月十二日当イワウ灘より津波起こり、海辺郡は沈没す、
奈多宮本社拝殿楼門鳥居残なく沈没す、・・・」
このように杵築藩士の是永六雅(これながりくが)が
「豊城世譜」(ほうじょうせいふ)に書いています。
奈多宮は海抜5.1mの所にあります。これが「残す事なく津波に
よって沈没した」とありますから相当大きな津波であったことがわかります。
しかもイワウ灘(伊予灘)から起こったことに注目すべきです。
この大津波によって貴重な史料等紛失します。本来三神像は国宝でしたが
史料が紛失したために重要文化財となっています。